はじめに
こんにちは。Strategic AI Groupの米谷です。以前にFuture Tech Blogで「世論調査の内閣支持率を統計学的に解釈すると…?」を書かせていただきました。
今回は、秋のブログ週間連載の第7弾の枠をいただいて、統計調査という繋がりで、イノベーションの捉え方に関する2つの調査を紹介させていただこうと思います。
皆さんはイノベーションという言葉からどのようなことをイメージされるでしょうか? 何かが新しく登場してわれわれの生活を便利してくれることをイメージされるかもしれません。身近に当たり前のように普及してきている例で言えば、スマートフォン、Uber Eats、セルフレジ/セミセルフレジ、リモートワーク、ダイナミックプライシングといったことをイノベーションと思う人も少なくないでしょう。一方で、イノベーションという言葉は非常に曖昧かつ抽象的で、万人共通の定義がないことから、もしかすると人によってはこれらをイノベーションとは思わないかもしれません。
現在、イノベーションはカタカナ英語となっていますが、どちらかと言うとそれがまだ英語と強く認識されていた頃、私は当たり前のように“技術革新”と訳していました。私も含めて日本人がイノベーションを技術革新と訳す一因は、1956年の経済財政白書でそのような訳であるように「技術革新(イノベーション)」と記されたことによると言われています。一方で、イノベーションの定義として世界的によく知られているのは、シュンペーターの生産に関する物や力の非連続的な新結合で、それが対象とする5つのケースとして新しい財貨/生産方法/販路の開拓/原料等の供給源の獲得/組織の実現等が含まれています。シュンペーターの定義は、日本語訳の技術革新よりも広い概念で、このうち技術革新を伴わない新結合に対して日本人はイノベーションとは思わない傾向があるかもしれません。
本ブログでは、イノベーションの捉え方に関する2つの調査を紹介します。1つは、イノベーションに何も定義を置かずに、同一の事象に対してイノベーションと思うかどうかを日米独で比較した「『イノベーション』に対する認識の日米独比較」です。もう1つは、世界の60か国超でもオーソライズされているイノベーションの定義を使って、民間企業のイノベーションの実現状況を調査した政府統計(一般統計)の「全国イノベーション調査」です。
「イノベーション」という言葉に対する認識の日米独比較
まずは、イノベーションに何も定義を置かずに、その言葉に対する認識が国際間でどう違うかを調べた「イノベーション」に対する認識の日米独比較 1を紹介します。この調査は25個の事例を日本人、アメリカ人、ドイツ人に各言語で提示して、自身がイノベーションという言葉に対して持つイメージを基準に、各事例をどの程度イノベーションと思うかをウェブで調査したものです。
イノベーションと思う程度の日米独比較調査結果
例えば、以下の事例について、
(1)あるカメラフィルムメーカーが、世界で初めてカメラフィルムの技術を液晶ディスプレイの保護フィルムに使った
日本人回答者の34.5%が「イノベーションと思う(青)」、44.5%が「どちらかと言えばイノベーションと思う(赤)」と回答したことに対して、アメリカ人はそれぞれ54.1%、32.4%、ドイツ人はそれぞれ46.4%、35.6%という結果が得られています。これも含めた全体の結果は以下で、25個の事例は、「イノベーションと思う」と「どちらかと言えばイノベーションと思う」の合計割合が全体的に高い事例から低い事例に並べられています。
▼25個の事例それぞれに対して日本人、アメリカ人、ドイツ人がイノベーションと思う程度(「イノベーション」に対する認識の日米独比較から抜粋)。
25個の事例の調査結果について、「イノベーションと思う」と「どちらかと言えばイノベーションと思う」の合計割合が全体的に高い上の方には科学技術の進歩が伴う事例が集まり、下の方には製品やサービスの生産/提供方法、マーケティング方法、組織の変更が伴う事例が集まっているように見えます。これを踏まえると、技術革新を伴わないとイノベーションとは思わない傾向があるという仮説は、必ずしも日本人に限ったことではないと言えるかもしれません。
また、25個いずれの事例でも、日本の「イノベーションと思う(青)」と「どちらかと言えばイノベーションと思う(赤)」の合計割合が最も高くなる事例はありませんでした。その中で日本がアメリカとドイツよりも特に低い事例は、
(3)製品の省エネ化を継続的に進めているあるメーカーが、家庭用大型冷蔵庫の最新機種の年間消費電力量をさらに5%少なくした。
(4)あるメーカーがお客様相談窓口の電話対応に自動音声案内を導入したところ、相談者の待ち時間が半分になった。
(8)あるアンチウィルスソフトウェアの販売会社が新種のコンピュータウィルスに対応するウィルス定義ファイルを配信した。
(15)ある企業が、中国企業との取引が増えたので中国語研修を始めた。
です。ただ、必ずしも日本がアメリカとドイツと比べて低いわけでもなく、
(5)ある自動車メーカーが複数の車種で用いることができるように部品を共通化した。
では、アメリカが日本とドイツと比べて低く、また
(9)同業他社でGPSが普及する中、あるタクシー会社もGPSを導入して、配車に必要な位置情報を自動的に把握できるようにした。
では、ドイツが日本とアメリカと比べて低いという結果になっています。
実はこの調査は、私が前職で担当させていただいたものです。官でも民でもイノベーションに関する海外事例を参照する際に、そもそもイノベーションに対する認識の違いがあるのではないかという懸念は起こりえて、この調査結果はそれに対するエビデンスの1つと言えるかもしれません。一方で、いずれかの国が他の国よりもイノベーションに対する評価が厳しいといった一貫した結果は得られていません。その背景には少なくとも調査方法への懸念が2つあり、1つは、調査票上の日本語から英語やドイツ語への翻訳に懸念が指摘されていること、もう1つは具体的かつ共通の事例を文章で想起させることの限界があったのではないかということです。本blogでは、結果の解釈が非常に難しいことから、気軽な気持ちでの話題提供に留めさせていただければと思っています。
統一した定義を使ったイノベーション調査
これまで書いてきたようにイノベーションに対する認識は人によってバラバラである懸念がありますが、何かしらの定義を置いてそれを定量化しようという試みはあります。例えばイノベーションの源泉となる研究開発等に対する投資金額や、製品/サービスの市場導入前に取得される特許等の数がそれです。これらはイノベーションの代理指標になりますが、客観的データとして有効な定量化手段と考えられています。一方、本blogで紹介する方法は、主観が入る懸念はあるもののダイレクトに定量化する方法で、経済協力開発機構(OECD)のオスロ・マニュアルによるものです。そして、文部科学省の科学技術・学術政策研究所が行っている政府統計(一般統計)の全国イノベーション調査は、このマニュアルにあるイノベーションの定義を使っています。
全国イノベーション調査とイノベーションの定義
全国イノベーション調査では、従業者数10人以上の民間企業のイノベーション実現状況とその実現に向けた活動(イノベーション活動)について、標本調査を通じた母集団推計を行っています。具体的に、以下の定義と調査票によって(1)プロダクト・イノベーション、(2)プロセス・イノベーション、(3)組織イノベーション、(4)マーケティング・イノベーションの実現の有無が定量化されています。
▼各イノベーションの定義(全国イノベーション調査 2018年調査 調査票の記載内容を筆者が要約)
(1)プロダクト・イノベーション
新しい又は改善した製品/サービスを市場に導入すること。新しい又は改善した製品/サービスとは、自社の以前の製品/サービスとはかなり異なるもので、他社が既に市場に導入していても良い。
(2)プロセス・イノベーション
新しい又は改善した、製品の生産方法、サービスの提供方法、製品やサービスのロジスティクス/配送方法/流通方法、情報処理又は情報伝達に関する方法、会計又は他の管理業務に関する方法を自社内に導入すること。新しい又は改善したこれらの方法とは、自社の以前のこれらの方法とはかなり異なるもので、他社が既に導入していても良い。
(3)組織イノベーション
新しい又は改善した、業務手順又は社外との関係を組織化するための業務慣行、職務責任/意思決定/人材マネジメントを組織化するための方法を自社内に導入すること。新しい又は改善したこれらの方法とは、自社の以前のこれらの方法とはかなり異なるもので、他社が既に導入していても良い。
(4)マーケティング・イノベーション
新しい又は改善した販売促進/価格設定/プロダクト・プレイスメント/アフターサービスに関するマーケティング方法を自社内に導入すること。新しい又は改善したこれらの方法とは、自社の以前のこれらの方法とはかなり異なるもので、他社が既に導入していても良い。
▼各イノベーションの具体的な調査項目(全国イノベーション調査 2018年調査 調査票から抜粋)。
例えば、(1)プロダクト・イノベーションは、自社の以前の製品/サービスとはかなり異なる新しい又は改善した製品/サービスを市場に導入したことで、その他の(2)プロセス/(3)組織/(4)マーケティング・イノベーションも同様です。
イノベーション調査の定義の2つのポイント
ポイントは少なくとも2つあって、1つはあくまでも「自社の以前のものとはかなり異なること」を満たしていれば、同様のものを他社が導入していても良いということです。つまり(1)プロダクト・イノベーションの定義は、少なくとも「自社にとって新しいプロダクト・イノベーション」ということです。そして、その内訳として「以前にいかなる競合他社も提供したことがない、市場にとって新しいプロダクト・イノベーション」と、「既に競合他社が提供している製品・サービスと同一又はよく類似した、自社にとってのみ新しいプロダクト・イノベーション」があるということになります。
もう1つは、「自社の以前のものとはかなり異なる」という主観性が残る懸念はあるものの、統一した基準でイノベーションを定量化できる点です。話は少し逸れますが、私はこの調査の第3回目(2012年調査(2013年初頭実施))を担当させていただき、今は調査する役所の立場から調査される民間企業の立場になりましたが、回答者としてフューチャーならどうなのかをぱっと答えるなら、いずれのイノベーションも実現していると回答します。しかし、厳密にどこの何をもってイノベーションを実現したとするとなると、社内でも回答者によってばらばらになりそうで、企業として正式に回答にはそのとりまとめにも労力が必要になりそうだと想像します(今もそうでしょうけど、主観性が残る懸念と、回答者負担は調査側だった当時の私も困ってました)。
イノベーション調査の利用例
話は戻って、統一基準による定量化によって実現されている1つが、以下のOECDが2019年に行った国際比較です。
▼2019年にOECDが収集した各国の各イノベーション実現割合の国際比較(プロダクト/プロセス/組織/マーケティング・イノベーションの実現割合、横軸が各国(国コード表示)で、OECDが収集した各国の統計値から筆者が独自に作成)。
この国際比較は各国の当時の最新結果が集められているのですが、日本のプロダクト/プロセス/組織/マーケティング・イノベーションの実現割合はそれぞれ16.1%、30.0%、13.9%、6.8%となっています。この結果を見て、経済大国としての日本のイノベーション実現割合が、諸外国と比べて低いと思われる方もおられるのではないかと思います。こういった数字を利活用してもらうためには、見る人の納得感も必要で、実際に私が調査を担当させていただいたときも、日本が相対的に低いのはおかしいという指摘がありました。関連して、前述のイノベーションに対する認識の違い、定義の「以前のものとはかなり異なる」への主観性、高い回答コストに起因する決して高くはない回答率と統計値の精度、非回答バイアス等の懸念が出てくるのも不思議ではありません。ただ、イノベーションに定義を置いて定量化したことで、既に紹介した国際比較、下記の国内での経年比較、これらにもとづいたイノベーションに関する議論ができるようになりつつあることは評価されるべきと思います。また、こうした懸念をなくして統計値の精度を高める取組(マニュアルの改訂、回答マニュアルの添付、非回答分析など)も並行して行われてることも事実です。
▼国内の経年比較例(プロダクト・イノベーションの実現割合;全国イノベーション調査 2018年調査統計報告 2から抜粋)。
最後に
本blogでは、イノベーションの捉え方に関する2つの調査を紹介しました。1つは、イノベーションという言葉に対する認識を国際間で比較した調査、もう1つはイノベーションに定義を置いた上での民間企業のその実現状況の調査でした。
特に後者は、マクロ視点でイノベーションの実現状況をモニタリングする上で有効な手段でしょう。一方で、モニタリング結果を踏まえてイノベーション実現に向けた施策を打つにしても、現場で起こっているイノベーションは様々で、有効な施策をマクロで作ることは難しそうです。私も、イノベーションを調査する役所から調査される民間企業に移った際に、「イノベーションを調査する人間から起こす人間になる」と意気込んでいましたが、ただ闇雲にイノベーションを起こそうと思っていたところがありました。しかし、当たり前のことかもしれませんが、新しく広く普及する技術、製品、サービス、方法は何かしらの課題を解決するために生まれているはずで、イノベーションは課題解決の副産物だと思うようになりました。したがって、イノベーションそのものを起こそうというよりも、課題を見つけてそれを解決したときにイノベーションが起こりうると思っています。これからもイノベーションの実現を期待して、課題を発見してそれを解決することをやっていきたいと思っています。
- 1.米谷悠(2012) 「イノベーション」に対する認識の日米独比較, 調査資料-208, 文部科学省科学技術・学術政策研究所. URI: http://hdl.handle.net/11035/1142 ↩
- 2.「全国イノベーション調査 2018 年調査統計報告」,NISTEP REPORT, No.182,文部科学省科学技術・学術政策研究所.DOI: https://doi.org/10.15108/nr182 ↩