フューチャー技術ブログ

秋の夜長に:魔法使いが夜更かしする場所

秋のブログ週間2023、本日から3週目に突入です。

はじめに

こんにちは、TIG所属の大野です。

秋をすっ飛ばしてめっきり寒くなってきた今日このごろですが、読書の秋ということで、以前から気になっていた『インターネットの起源』(原題『Where Wizards Stay Up Late: The Origins Of The Internet』)を読んでみたいと思います。

感想

本書は、1960年代から1980年代にかけてのインターネット黎明期のアメリカを、数多の書籍や記事、論文、そして関係者へのインタビューを元に描いた、いわばインターネットの歴史書です。

歴史書といっても、重要な出来事を時系列に沿って整理したような堅い読み口ではなく、インターネットの生みの親たちのリアルな会話を中心に構成されたドキュメンタリーのような趣で、読み物としても大変面白かったです。

本書の構成としては、インターネットの前身であるARPANETの誕生から各種プロトコルの作成、他ネットワークとの連携によるインターネットへの成長、そしてARPANETの終焉までを、全8章に分けて記述しています。

各章の概要と印象に残った箇所を紹介します。

第1章 即断即決で100万ドル

第1章では、ARPANETの生みの親たるアメリカ国防総省ARPA(国防高等研究計画局)およびIPTO(情報処理技術研究室)の創設経緯、そしてIPTO初代部長であるJ・C・R・リックライダーによるコンピュータ・ネットワークの構想について語られています。

元々音響心理学者であったリックは、当時もっぱら計算機としての利用が主流であったコンピュータについて、その対話的利用が人間にもたらす計り知れない恩恵を予見していました。

本章では、リックが政治プロセスを例にコンピュータおよびコンピュータ・ネットワークの有用性を説いた話が紹介されています。

(前略)リックは、将来コンピュータに手が届くようになれば、多くの市民が「政府の政策決定過程に関する情報を得て、興味をもち、そこにかかわるようになる」と考えていた。(中略)
「政治は基本的に大規模な電話会議を通じておこなわれ、選挙運動は候補者と広報担当者、評論家、政治行動グループそして有権者のあいだの数ヶ月におよぶ一連のコミュニケーションになるであろう。そのカギを握るのは自発的な積極性であり、それには良質のコンソール、良質のネットワーク、良質のコンピュータを通じて得た情報を真に対話的に扱える環境が必要である」

誰もがスマートフォンを持ち歩き、ソーシャルメディアで世界中と瞬時につながる現在の世界をリックは正しく予言していました。

彼が「真のインターネットの父」と言われる所以がよく分かる内容でした。

第2章 大聖堂を建てたのは誰か

第2章では、ARPAのラリー・ロバーツによるARPANETプロジェクトの発足、そしてポール・バランおよびドナルド・デイヴィスにより、偶然にも同時期に全く別の場所でそれぞれに発明された「パケット交換」の概念について語られています。

よく「インターネット(の前身であるARPANET)は軍事目的で開発された」という風説を耳にします。本章を読む限り、ARPAが国防総省の機関であること、そしてARPANET構想の技術的概念を形作ったバランが核攻撃時も可用性を失わない通信システムの必要性を強く意識していたことがこの風説の形成に影響しているのではないかと思いました。

実際のところ、ARPANETプロジェクトは研究者間の資源共有による経費削減というARPAの思惑に端を発していたとわかり、その現実的な理由にクスリとしてしまいました。

第3章 第3の大学

第3章では、「第3の大学」と呼ばれたBBN社の歴史、この小さな会社がARPAとのIMP開発の契約を勝ち取るに至った経緯が語られています。

IMPとは「Interface Message Processor」の略で、現在でいうルータにあたるような装置です。もちろんこの時代にそのような機器の前例はないため、IMP開発は難易度も不確定性も極めて高いものでした。そんなシビアなプロジェクトの管理者であったBBN社のフランク・ハートは、効率的なエンジニアリング・チームを編成するため、以下のような方針を取ったといいます。

彼が求めたのは、個人的な課題よりも共通の目標の達成に力を注ぐような人材だった。誰もがつねにほかのメンバーたちと話し合えるようにチームを少人数に抑え、自分のしごとを個人的な責務として引き受けられる人びとを選んだ。特異な面は大目にみてはいたが、どれほど頭がよくても自己中心的な”変人”は退けた。

現在でも通じる価値観であり、思わずチームメンバーとしての我が身を省みた部分です。

第4章 プログラムと格闘する日々

第4章では、BBN社によるIMP初号機作成の苦難について語られています。

初期のIMPはハネウェル社のDDP-516というミニコンピュータ(といっても冷蔵庫くらいの大きさ)をベースに作成されました。ところが、ハネウェル社から納品された516は発注内容とまるで違っていて……といったように、トラブル続きの現場の雰囲気が感じられてとても臨場感がある内容です。

IMP初号機納入の期日が刻々と迫る中、オシロスコープと配線ツールを手に、数ナノ秒ほどのごく一瞬の同期システムの異常パターンを探すシーンは、想像するだけで胃が痛くなります。

第5章 トゥルート宛必着

第5章では、初めてのARPANETの実地試験、そしてスティーブ・クロッカーとヴィント・サーフらによるホスト間通信のためのプロトコル設計の取り組みについて語られています。

本章では、研究者や大学院生などのARPANET関係者らが、対等な開かれた議論の場の中でプロトコルについての合意を形成していったそのプロセスが印象的でした。その最たる例として紹介されているのが、クロッカーの考案した意見表明の手段である「RFC(Request For Comments)」です。

クロッカーがRFC1をバスルームにこもって徹夜で書き上げたときのエピソードが紹介されていました。

彼は思慮深く、周囲に気を遣う青年だった。「僕らの書いたものが”公式の”プロトコルを設計する人たちの気分を害するんじゃないかって、ものすごく心配した」。(中略)彼は、自分の言わんとすることそのものよりも、その口調を間違えないように気遣った。「基本的な大原則は、誰もが自由に発言でき、”これが公式見解だ”というものはないってことだ」

RFCによる技術仕様の共有は今日まで続くシステムではありますが、今日のRFCが「ひと通りの議論を終えた標準仕様を公開するための文書」といった色を持つのに対し、初期のRFCは字義通り「議論のための叩き台」であったことがうかがえます。

第6章 ハッキングと喧騒と

第6章では、ARPANETの拡大や端末IMP(TIP)の作成、TelnetとFTPの作成、そして第1回ICCC(コンピュータ通信国際会議)でのARPANETのお披露目会について語られています。

ARPANETのお披露目は、ワシントンのヒルトンホテルに設置された多種多様な端末機器をARPANETのTIPと接続し、アメリカ各地に散らばったARPANETサイトのホスト・コンピュータとリアルタイムに通信するデモンストレーションの形で行われました。

特に参加者の目を引いたデモとして、対話式の英会話プログラムPARRYとDoctorが紹介されていました。PARRYはパラノイア患者の思い込みを、Doctorは精神科医の行動を模倣するプログラムです。

サーフらがおもしろ半分にこの2つのプログラムをARPANETを介して「対話」させた記録がRFC439として公開されています。全体的にとんちんかんではありますが、部分的には患者と医師としての会話が成立しているようにも見えて面白いです。

第7章 電子メール

第7章では、ARPANETにおける電子メール利用の急速な拡大、そして電子メールがARPANETの主要な用途へなっていく流れが語られています。

特に印象的だったのは、Dungeons and Dragonsという最古のTRPGを元にウィル・クラウザーが作成し、のちにドン・ウッズにより改良された、Adventureというコンピュータ・ゲームに関するエピソードです。改良版のAdventureはスタンフォードAI研究所のコンピュータ上で誰にでも自由に公開され、また作者たちも海賊版の作成を推奨していたため、多くのARPANETユーザは寝不足になりながら夢中でこのゲームを遊びました。

この時点では政府の持ち物であるはずのARPANET上では、しかしながら国防とは何ら関係のない私的で自由な利用が実質的に認められていたことが分かります。

実際、ARPANETにおいて電子メールがここまで広く普及・成功した要因として、ビジネス用途以上にプライベートなコミュニケーションツールとしての魅力が大きかっただろうことは想像に難くありません。用途や目的を制限しない、自由で開放的なネットワーク文化が、ネットワーク技術の成長を加速させたのだと感じました。

第8章 手にしたロケット

第8章では、ロバート・カーンとヴィント・サーフによるTCP/IPの作成、ロバート・メトカーフによるイーサネットの発明、DNSの開発、そしてインターネットの成長が語られています。

ネットワーク接続の標準仕様を巡る、ISO(国際標準化機構)擁するOSI参照モデルとTCP/IPとの競争はとても興味深かったです。

OSI参照モデルは、アメリカにおいてもヨーロッパ諸国においてもネットワーク接続の公式標準として採用されました。しかし、開放的なネットワーク文化に親しんだインターネット・コミュニティの参加者たちは、クローズドな机上の理論であるOSIモデルに反対し、ある種の非合法活動のようなかたちでTCP/IPを採用する動きが広がりました。

当時人気のオペレーティング・システムであったBSD UNIXがTCP/IPを組み込んだこと、そしてイーサネットの発明とLANの爆発的な普及に助けられ、ARPANETおよびARPANETの通信プロトコルであるTCP/IPは、公式標準であるOSIモデルを凌駕する巨大なネットワーク基盤を構成するに至りました。

あるTCP/IP推進派のコンピュータ科学者の印象的なセリフを引用します。

「標準とは合意によって形成されるもので、命令で作られるものではない」

おわりに

インターネット黎明期のおおらかでオープンな空気感が伝わってきて、当時を追体験しているかのような感覚でワクワクしながら読み進めることができました。
また、プロジェクト運営の哲学や技術開発に対する態度など、ITコンサルタントとして備えておきたいマインドセットという観点でも学ぶところが多くありました。

惜しむらくは、本書は現在ほとんど流通していないことです……。原著であればまだ入手できますので、英語が得意な方はぜひ読んでみてください!
(私のように英語を見ると蕁麻疹が出そうになる方は、図書館を探してみると翻訳書が見つかるかもしれません)

最後に、本書の中で最もお気に入りのフレーズを紹介して終わりたいと思います。

技術における進歩は、往々にしてありふれた営為から生まれる。研究者たちは、新たな技術を用いてふだんどおりのことができることを示し、新たな技術への信頼を醸成する。信頼が生まれると人間はさらに大きな可能性を考え、そして次の段階へと進んでいく。変化を受け止めていくうちに、人びとのなかでは次の世代の構想がはぐくまれていくのである。

明日は、工藤さんの「TEAM GEEK」を読んでメンバー視点で良いチームについて考えるです。