- 内堀航輝
- 約 5,800 文字
目次
はじめに
こんにちは、よく使う英語の相槌は「Sounds nice!」な内堀です。相手が何を言っているか聞き取れなかった時は、これと全力のスマイルで乗り切っていました。今回のテーマは「エストニアの電子政府じゃない話」です。
突然ですが、エストニアという国をご存じでしょうか?電子政府やスタートアップに関心のある人であれば、一度は聞いたことがある名前かなと思います。
僕がエストニアを知ったのは、いつのまにかコンビニで住民票を印刷できるようになっていたことに感心して、電子政府について調べていたときです。そこで、エストニアが行政サービスの100%電子化に成功したというニュースを見つけました。
ちょうど英語学習のために海外へ行きたいけれど、普通に語学留学するのは面白みがないよなと思っていたこともあり、思い切ってエストニアに行ってみることにしました。現地のエンジニアと交流して視野を広げることで、語学以外の面でも、今後のフューチャーでの業務につながる良い経験になると考えたからです。
ただ、ここで電子政府について日本と何が違ったかを書き出すとめちゃくちゃ長くなりますし、何より短期滞在しただけの一般人が会社のブログで偉そうに語るものでもないと思います。なので今回はあえてそれ以外の、現地に行ってみて面白いなと感じたことをエッセイ的に書いてみます。
一応先に注意書きをしておくと、現地で働いたわけではなく、あくまで2か月の滞在で僕が見聞きした範囲の話です。統計的に正しいことを言うつもりはないので、一人の旅行者の体験談として気楽に読んでもらえればと思います。
そもそもエストニアってどんな国?
つらつらと体験談を語る前に、まずエストニアがどんな国か紹介させてください。エストニアはロシアのすぐ西、フィンランドの南に位置する国で、お隣のラトヴィア、リトアニアと合わせてバルト三国と呼ばれています。
基本情報は以下の通りで、日本と比べると人口密度が低く、自然豊かな国です。首都のタリンですら人口約46万人(金沢市と同じくらい)と、とても小さいです。ただ、さびれた町というわけではなく、観光客や外国から働きに来ている人々で非常に活気があります。
- 正式名称:エストニア共和国(Eesti Vabariik)
- 人口:約136万人(奈良県や長崎県と同程度)
- 首都:タリン
- 言語:エストニア語
- 通貨:ユーロ
- 面積:約4.5万㎢(九州よりひと回り大きいくらい)
タリンの中心部にある旧市街は、中世のハンザ同盟の時代に交易の要所として栄えた場所です。当時の街並みがとても良い状態で残っていて、城壁の内側に石造りの壁とカラフルな瓦屋根の建物が並び、歩いているだけで楽しいです。
一方で、街から少し離れると、牧歌的な牧草地帯が広がっています。城壁に囲まれた石造りの街と、そのまわりに広がるのどかな田園風景の組み合わせは、なろう系小説でよく見るヨーロッパ風の世界、いわゆる「ナーロッパ」をそのまま現実に持ってきたような雰囲気があります。
タリン以外の街もそれぞれ良さがあるのですが、書き出すと長くなってしまうので、このあたりで本題に入ります。
グローバルな国?
街全体で見ると、ヨーロッパでは普通
タリンは小さな街ですが、歩いていると外から来た人の多さを感じます。街中ではエストニア語、ロシア語、そして英語が飛び交っていて、高校生くらいの子どもでも普通に英語で会話ができます。
国として人や企業を呼び込んでいるうえに、EU加盟国なのでEU域内の人は自由に住んだり働いたりできます。そもそもタリンはヨーロッパでは有名な観光地なので、英語が必要な場面も多いのだと思います。
はじめは「さすがエストニアや~」と感心していたのですが、調べてみると、実はこれ自体はヨーロッパではそれほど珍しくないようです。英語力の国際ランキングでは、エストニアはヨーロッパの中で真ん中くらい。働く人に占める外国人労働者の割合も1割弱で、ヨーロッパの中で突出しているわけではありません(それでも日本の約4%と比べると倍以上ですが)。
これは単に僕が日本を出なさすぎて知らなかっただけなのですが、最初はかなり衝撃でした。やっぱり、環境の影響って大きいですね。
IT・スタートアップ界隈は一段とグローバル
一方で、IT・スタートアップ界隈に限ると話が変わります。
滞在中、Meetupや交流会などいろいろなコミュニティに顔を出しました。そこで「普段何してるの?」と聞いて回ると、結構な確率でエンジニアに当たります。それもインドから来た人、アルゼンチンから来た人、ウクライナから来た人と、エストニア人以外の人がかなり多い印象でした。
気になって調べてみると、エストニアのスタートアップ業界で働く人の約3割が外国籍だそうです。国全体の1割弱と比べると、かなり高い数字です。
中でも面白かったのが、Vibe codingのコミュニティです。コードが書けなくてもアイデアを形にしていこうというスタンスで、スタートアップコミュニティと連携しながら、スタートアップの裾野を広げる入り口のような立ち位置にありました。もちろんエンジニアも多いのですが、医療従事者や重工業の人が、同じ業界で課題意識を持つ仲間とエンジニア抜きでチームを組み、Vibe codingで作ったプロダクトを持ち寄っていました。「作りたいものがある人」と「作れる人」の垣根を、Vibe codingがどんどん壊していっているんだなと感じました。
このコミュニティが主催するHackathonにも参加してみたのですが、アイデアへのフィードバックやピッチで重点的に聞かれたのは、誰に対して、どんな価格設定で、何を提供するのか。そして今後どう発展させていくのか。技術的な面白さよりもビジネスとして成り立つかが問われていて、実際に上位入賞したチームは、これらの問いにちゃんと答えられるアイデアを持っていました。
ちなみに僕のチームはこの趣旨をあまり理解しておらず、Vibe coder向けにトラフィックスパイクを軽減するというニッチなサービスを提案して、予選落ちしました。ちょっとウケて特別賞はもらえましたが、徹夜して用意したデモは日の目を見ずに終わりました。デモを作っている最中に、日の出は見たんですけどね。

シャイな国民性?
エストニア人は寡黙でシャイで、人との距離が遠い。渡航前に調べた情報ではそう書かれていましたが、実際に行ってみると、日本人の僕からすればかなり社交的でした。
年齢・立場・国籍に関係なくコミュニティ活動が活発で、外国人にも開かれています。もちろん、僕が参加できたコミュニティしか見ていないのでバイアスはかかっていますが、それでも外国人が入っていける場所がこれだけ多かったこと自体、開かれている証拠かなと思います。
仕事終わりのスポーツ
エストニアは仕事後のスポーツが盛んで、18時にはもう体育館に人が集まっています。滞在中、僕もバレーボールのチームに混ぜてもらっていたのですが、週3回、月・水・金と結構がっつりやっていました。とはいえこれが特別ガチなわけでもなく、他のチームも週に何回か練習するのが普通で、空いている日はどこかしらのチームに混ぜてもらいに行っていました。雰囲気もオープンで、社会人・大学生・高校生・外国人問わず一緒にプレーしていました。初めて参加した日からみんな気さくに話しかけてくれて、2回目にはもう馴染んでいました。帰国前にはみんなでボウリングに行くくらい仲良くなれました。
日本では社会人のバレーチーム(といってもサークルくらいのゆるいものですが)に半年通っても馴染めず、そのままフェードアウトした悲しい過去を持つ僕にとっては、ほとんど奇跡でした。
ペアダンスのコミュニティ
バレー以外にも、現地に住んでいる日本人の紹介で、バチャータというペアダンスのコミュニティに行ってみました。バチャータはペアで踊る即興ダンスで、エストニアでもかなり人気があります。
ソーシャルという、1曲ごとにペアを変えながらいろんな人とひたすら踊る場があり、そこに何度か参加していました。本当はあまりよくないことだと思うのですが、レッスンを受けずに、YouTubeのレッスン動画を見てちょっと練習しただけで参戦しました。ペアで踊る以上、そんなど素人の外国人が急に参加したら嫌がられるかなと思ったのですが、普通に受け入れてもらえました。むしろ「もっとこうした方がいいよ」とアドバイスをくれる親切な人が多かったです。ちなみに、一番多かったアドバイスは「9月からちょうど新しいレッスンが始まるから、それを受けた方がいいよ」でした(それはそう)。
現地の人曰く、バチャータのコミュニティが特殊なだけで、普段のエストニア人がここまで社交的になることはないそうです。とはいえ日本人的な感覚でいくと、そもそもペアダンスが人気な時点で十分社交的だよな……と思いました。
技術の国?
最後に、エンジニアとして個人的に面白かった技術の話です。
ギークの溜まり場、k-space
僕の関心が基盤寄りなので、現地のエンジニアともその手の話をよくしました。中でもよく顔を出していたのが、タリンにあるk-spaceというパソコンクラブ的な場所です。部屋中に一昔前のパソコンやサーバー、スイッチが転がっていて、なかなかにギークな空間でした。
集まっている人たちも、本当に各々好きなことをやっていました。SMSの仕様書を読み込んで自前でSMSサーバーを実装している人もいれば、昔のMacintoshみたいなレトロなパソコンのCPUとメモリを載せ替えて、黒背景に緑文字のディスプレイでLinuxを勉強している人もいます。初めて行ったときに声をかけた3人のうち2人は自宅鯖を運用していて、ホームラボの話でめちゃくちゃ盛り上がりました。日本にもこういう場所が欲しいと本気で思いました。
クラウドより、VMとKubernetes
k-spaceで出会ったエンジニアに限らず、Kubernetesは触るけど、基本はVMやオンプレで、AWSやGCPはほとんど触らないという人が多い印象でした。もっとも、スタートアップ系ではかわらずクラウドが主流なようなので、僕が出会った人がたまたま偏ってた可能性は否定できませんが。
特に驚いたのが、Amazon ECSの知名度の低さでした。Amazon EKSやEC2を知っている人はいても、Amazon ECSを知っている人には一人も会いませんでした。タリンで出会った数人のエンジニアの話でしかありませんが、日本ではクラウドの話をしていてECSが通じなかったことがなかったので、カルチャーショックでした。
気になってGoogle Trendsで「AWS ECS」「AWS EKS」「Kubernetes」の検索割合を比べてみると、日本はECSの割合が63か国中1位で、2位のニュージーランドより10ポイントほど高い結果でした。
一方、エストニアは圧倒的にKubernetesでしたが、ヒットした全64か国中で見ると32位で、特別強い偏りがあるわけではなさそうでした。
こうしてみると、これに関してはエストニアが特殊というより、日本の方が外れ値なようです。
クラウドが物理的に遠い
オンプレ・VMの話題が多かったわけですが、現地で過ごすうちに思い当たることがいくつかありました。
まず、エストニア国内にはクラウドのリージョンがなく、一番近いAWSのリージョンはストックホルムです。
回線事情もあります。エストニアは実は回線インフラがあまり強くなく、固定回線の速度は世界72位(モバイルは13位)で、地方の光ファイバー整備は一度失敗して仕切り直し中だそうです。僕が滞在していたAirbnbのWi-Fiは、調子がいい時で下り30Mbps・上り10Mbps。雨の日は下り4Mbps・上り0.1Mbpsまで落ちました。日本の家では光回線で1Gbpsを契約していると言ったら、めっちゃ羨ましがられました。少し気持ちよかったです。
首都のタリンですら光回線の敷設は終わりきっておらず、ホームラボ勢と話していた時も、家のルーターが中継器の先にあるのでGlobal IPがなく、外から繋ぐためにVPSを契約していると話していました。
歴史的な事情もありそうです。エストニアが独立を回復したのは1991年で、そこから国のシステムを作り始めました。行政に限らず企業も含めて、主要なシステムの多くはクラウドが今ほど普及する前に、オンプレ前提で作られたはずです。それから10〜20年ほどしか経っていないので、大きなシステムならクラウド移行はまだこれから、というのも珍しくないはずです。実際、行政サービスもほとんどがVM上で動いていて、最近やっと少しずつAWSやGCPが使えるようになった段階のようです。ライフサイクル的に、まだVMが多いのも自然なのかもしれません。
近くにクラウドのリージョンがなく、回線も心許ない。だから手元のサーバーやVPSで自分で組む文化が根付いているのかもしれない、というのが僕の仮説です。
とはいえ、この状況も変わりつつあります。エストニアは寒冷で水が豊富な国なので、データセンター事業がまさに今始まろうとしていて、その電力を賄うための小型原発の建設プロジェクトも動き出しているようです。
おわりに
現地に行ってみて率直に面白いと思ったことを、つらつらと書いてみました。
現地で働いたわけではないし、たった2か月の滞在なので、偉そうに語れるほどエストニアを知れたわけではありません。それでも、「電子政府とかスタートアップがなんかすごいらしい、じゃあ見に行ってみよう」と見切り発車で行った割には、現地に住む人たちのコミュニティに入って、ちゃんといろいろ経験できたかなと思います。
日本を離れてみて、日本の当たり前の、いいところと悪いところの両方に気づけました。インドに行ってないのに、少し人生観が変わりました。
夏(6~8月)のエストニアは本当に過ごしやすくてリラックスできるので、旅行先としてもおすすめです。興味がある方はぜひ行ってみてください。